元投手 ジョー・スタンカさん死去 南海の黄金時代築く

昭和30年代から40年代からにかけてプロ野球の南海などでピッチャーとして活躍し、通算100勝を挙げたジョー・スタンカさんが15日、自宅のあるアメリカ テキサス州で亡くなりました。87歳でした。

スタンカさんはアメリカのオクラホマ州出身で、昭和35年に当時の南海ホークスに入団し、キャッチャーの野村克也さんや、アンダースローの名投手 杉浦忠さんなどとともにプレーして南海の黄金時代を築きました。

昭和36年、巨人と対戦した日本シリーズの第1戦で完封勝利を挙げ、外国人投手として初めて

日本シリーズでの白星を挙げました。

第4戦の9回には、見逃しの三振を奪ったかという投球を球審の円城寺満さんにボールと判定された場面はその後も語り継がれ、当時「円城寺あれがボールか秋の空」という川柳が詠まれたほどでした。

その後、昭和39年にはシーズン26勝を挙げ、チームを優勝に導くと、阪神と対戦した日本シリーズでは3回の完封勝利を挙げて日本一に貢献し、レギュラーシーズンと日本シリーズの両方でMVPでの7年間の通算100勝72敗で防御率は3.03でした。