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【JR山手線に13年振りの新型車両】

東京オリンピックパラリンピックなどを見据え、JR山手線に13年振りとなる新型車両が登場し、30日、営業運転を開始しました。

新型車両の「E235系」は、山手線に13年振りに登場した次世代の通勤電車で、JR大崎駅では営業運転の開始を祝う式典が行われました。

車体はデジタル時代を象徴するような外観で、ドア全体をイメージカラーの鶯色(うぐいすいろ)にする事で、ホームドアが閉じていても山手線と認識できるデザインになっています。

車内は1人当たりの座席の幅が従来より横に1センチ広がっています。

また、全ての車両の一角に座席のない区画が設けられ、車椅子やベビーカーの他、5年後の東京オリンピックパラリンピックを見据え、スーツケースを置くスペースとしての利用も見込んでいます。

更に高齢化に対応するため、優先席が1編成当たり、従来の0席から88席に増えています。

広告などのための液晶画面も増設され、これに伴って中吊り広告の取り止めが検討されていましたが、企業側の要請も有り継続することになりました。

一番列車は、午後3時時過ぎ営業運転を開始しました。

新型車両には、レールや架線の異常を常時、自動で監視し、担当部門にリアルタイムで伝える機能も有り、JR東日本は、首都圏の他の路線にも順次、この車両を導入することにしています。

JR東日本東京支社の得永諭一郎運輸車両部長は「車椅子やベビーカーを使っている人達がどの車両に乗っても快適に利用して貰えるよう、全ての車両の一角に座席のない区画を設けました。車体の長さが決まっている中で座席の幅を1センチ広げていてこれ以上広げられませんが、少しでも快適にと思って設計しました。座り心地についても改良しているので、座って試してほしいです」と話していました。

新型車両の一番列車を利用した東京・葛飾区の40歳の女性は「乗り心地が良く、車内がとても明るかったです。座席が1センチ広くなったと聞いたので、楽に座る事が出来ました」と話していました。この女性の小学2年生の息子も「車内がこれまでよりシンプルなデザインになっていました。全ての車両に車椅子のスペースがあることや吊革が鶯色で目立ちやすくなっているのが良いとおもいます」と話していました。

【戦後日本の社会を反映】

山手線では、戦後の日本のその時々の社会を反映しながら新たな車両が導入されてきました。山手線に、シンボルカラーの鶯色の車両が登場したのは東京オリンピックの前の年の昭和38年です。日本が戦争の荒廃から抜け出し、高度経済成長へと歩みを進めた頃でした。この年に導入されたのが「103系」で、通勤客の増加に対応する為加速性能を向上させるなど輸送力が強化され、多くのサラリーマンを運び、戦後日本の復興を支えました。

一方、昭和60年に導入された「205系」は、オイルショック後の安定成長期をへて省エネが求められた時代に登場しました。旧国鉄で初めてのオールステンレス製で、車体を軽くすることで消費電力を大幅に減らしました。そして、現在、運行しているのが平成14年に登場した「E231系」が導入され、更に省エネ化が進められています。

【“都心囲むように1周”ちょうど90年に】

山手線は当初、「の」の字を描くように運行されていて、都心を囲むように1周する今の形になってから、今月で丁度90年となります。埼玉県さいたま市鉄道博物館によりますと、山手線のルーツは明治18年に開通した品川と赤羽を結ぶ鉄道です。

明治42年に山手線と名付けられ、今の新橋から、池袋、田端を経由して上野までを結ぶ電車としての運行が始まります。その後、大正8年に旧万世橋まで延びますが、上野とはつながらなず、東京から今のJR中央線を経由して新宿方面に戻る「の」の字を描くような運行が始まりました。 そして今から90年前の大正14年11月1日、上野との間がつながり、都心を囲むように1周する今のような運行が始まりました。

1周は、実はフルマラソンのコースより短い34.5キロで、およそ1時間かけて走ります。

東京から、まず品川、渋谷方面を回る電車が外回り、上野、池袋方面を回る電車が内回りと呼ばれ、環状運転が行われています。

JR東日本によりますと、山手線の利用者は1日当たり100万人を超えるということです。