九重親方死去 角界などから惜しむ声

相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞した元横綱千代の富士九重親方が、亡くなったことについて、角界などから、悲しみや惜しむ声が寄せられています。

白鵬「親方のビデオで相撲を研究」】

横綱白鵬は「言葉になりません。早すぎる。残念としか言いようがありません」と話していました。

また、現役時代の九重親方については、「私も体が小さかったので、親方の相撲をビデオで見て一気に前に出る相撲を研究しました」と話し、印象に残っている思い出として「去年の還暦の土俵入りで太刀持ちをさせてもらい、昭和の大横綱を間近で見させてもらった」と振り返っていました。

そのうえで、白鵬の通算勝利数が九重親方の1045勝に近づいていることについて、「天国から見守ってもらいたい」と話していました。

【尾車親方 大関になれたのは九重親方のおかげ】

大関・琴風の尾車親方は「電話で聞いてびっくりしています。名古屋場所の間に調子が悪くなって東京に帰ったと聞いていましたが、まさかこんな早く訃報を聞くとは夢にも思いませんでした」と話していました。

現役時代、千代の富士には6勝22敗と大きく負け越していますが、「なかなか勝てませんでしたが、よく出稽古に来た千代の富士関と稽古をして鍛えられたので、ほかの力士を土俵の外まで運べるような力がつけられたと思います。私が大関になれたのは九重親方のおかけです」と感謝していました。

そのうえで、「自分に厳しい人でした。九重親方しか伝えられない経験をもっともっと伝えていってほしかったです。とにかく突っ走ってきた人生だと思うので『安らかにお眠りください。今後の相撲界を見守ってください』と言いたいです」と、無念そうに話していました。

【弟子の佐ノ山親方「父親のような存在だった」】

九重親方の弟子で、元大関千代大海佐ノ山親方は、東京都墨田区九重部屋で取材に応じ、「元気になってくれると信じていたので、言葉がない。きょう病院に面会に行ったが、すでに意識のない状態で、声をかけても返事がなかった。師匠は自分にとって実の父親のような存在だった。師匠からは、『頑張ってくれ』と言われていたので、言われたとおり、これから自分にできることを一生懸命頑張っていきたい」と話していました。

八角理事長「あまりにもショック」】

横綱千代の富士九重親方が亡くなったことについて、日本相撲協会八角理事長は春日野広報部長を通じて、「あまりにもショックでコメントのしようがない」と談話を発表しました。八角理事長は1日、改めて心境を述べるということです。

芝田山親方「こんなに早く亡くなるとは」】

同じ北海道出身で元横綱大乃国芝田山親方は「現役時代よく九重親方に出稽古に行った。相四つだったのでなんとか先に左上手を取らせないように研究した。体重は圧倒的に自分のほうが上だったが、力が強かった」と先輩横綱の強さをあげました。

そして、当時の戦後最高となる53連勝を止めた相撲については、「優勝がかかった一番ではなかったが、自分のプライドもあった。なんとかしないとと思って臨んだ結果だった」と振り返り、「こんなに早く亡くなるとは思っていなかった」とコメントしました。

朝青龍 ツイッターで悲しみのコメント】

横綱朝青龍は、みずからのツイッターで「悲しい悲しいな、涙が止まらない・・・、憧れの力士、角界の神様、横綱たちの横綱よ、悲しいな。親方よ、夏にモンゴルに来てイトウを釣る約束は?悲しいな」コメントしました。

【同期入門の元力士「同じ時代に相撲取れて本当に光栄」】

九重親方と同じ部屋に同期で入門し、現役時代は若の富士の四股名で幕内などで活躍し、現在は大阪で飲食店を経営する齋藤昭一さんは「地位は違いましたが、人格者で、たくさん稽古をつけてくれました。同じ時代に相撲を取れて本当に光栄でした」と当時を振り返りました。

また、九重親方が平成2年の大阪場所で通算1000勝を達成した歳には齋藤さんの会社の敷地に部屋の宿舎があり、盛大にお祝いしたということで、「千代の富士関が残した功績は素晴らしいものだと思います。亡くなられたのは早すぎるし、本当に残念でならない」と話していました。

【春日野広報部長「手の届かない存在だった」】

元関脇・栃の和歌、日本相撲協会の春日野広報部長は「私も現役のときに何度か対戦したが一度も勝てず、手の届かない存在だった。立ち合いが速くて鋭く、今までに経験したことのない強さだった。偉大な横綱で、対戦できて光栄だった」と話していました。

レスリング吉田選手「親方のためにも五輪4連覇を」】

九重親方と親交があり、同じく国民栄誉賞を受賞しているレスリング女子の吉田沙保里選手は、訃報にショックを受けた様子でした。

九重親方は、吉田選手の北京とロンドンの壮行会に出席し、7月2日に開かれたリオデジャネイロオリンピックの壮行会でも、ビデオレターで激励のメッセージを寄せていました。

去年、国技館で行われた九重親方の還暦を祝う土俵入りには吉田選手も出席し、一緒に食事をする機会も数回あったということです。

吉田選手は取材に対して、「体調が悪いと聞いていたが、突然のことでびっくりしてショックを受けています。子どものころから相撲が好きで、父親とよくテレビを見ていてファンでした。日本を代表するすごいアスリートだと思います。

親方のためにもオリンピック4連覇を達成したいです」と声を落としていました。

王貞治さん「心に残る横綱」】

プロ野球福岡ソフトバンクホークス王貞治球団会長は「九重親方の訃報に接し大変残念でなりません。

土俵での圧倒的な強さで、31回の優勝など数々の記録を打ち立て、相撲界を大いに沸かせてくれました。一時代を築いた心に残る横綱でした。謹んで御冥福を御祈りします」というコメントを出しました。

デーモン閣下さん「アスリートのような新しさ持ち込んだ」】

大相撲に詳しいデーモン閣下さんは「去年、還暦土俵入りを見たときには非常に元気だという印象だったため、それから1年あまりで他界するとは突然に感じ、非常に驚いた。現役時代はスピードに加えて、力もあるという身体能力の高さで、それまでの“お相撲さん”とは違う、“アスリート”のような新しさを当時の相撲界に持ち込んだ。一方で、大横綱になってなお、勝負にこだわるハングリー精神も感じさせてくれた。千代の富士が相撲に取り組んだ姿勢を今の相撲界も思い出してほしい」と話していました。

やくみつるさん「初優勝のときは出待ち」】

相撲通として知られる漫画家のやくみつるさんは「病気をしているとは聞いていたが、痩せていても元気な姿を見せていたので、本当に驚いた。亡くなるのは早すぎる」と残念そうに話していました。そして、現役時代の思い出については、「入幕した直後は、細くて小さいが、気が強い力士だなあというイメージで、まさか横綱になるとは思ってもいなかった。昭和56年の初場所で、初優勝する大一番のとき、自分は大学4年生で、チケットも持っていなかったのに出待ちをして、そのまま優勝パレードを見たのが印象に残っている」と振り返りました。

さらに、「引退したあとは、弟子の育成に力を注いでいた。厳しく育てていた弟子を見守れず、さぞ残念だろうと思う」と話していました。